2010年11月6日土曜日

Peregrina a Santiago(15)



カスティージャ・イ・レオン州とガリシア州の州境に近い私営アルベルゲは、1泊9ユーロ。手続きをすませ、2階にある部屋へ向かう。階段を登る時の太ももは、じーんと重い。1室に8台のシングルベッドが並び、ベッドサイドに小さなテーブルもある。トイレとシャワーも清潔で使いやすい。公営のアルベルゲに比べ、少し高いだけあって設備がいいし、家主の個性も感じられる。

オスピタレラ(女性の世話人)に全自動洗濯機を使わせてもらい、大きな裏庭に洗濯物を干した。芝の上に、何本もの洗濯紐が伸び、いろいろな洗濯物が風になびいている。18時過ぎまで昼間と同じ強い太陽が照りつけているので乾きもいい。

シャワーと洗濯をすませた後は、脚のマッサージに集中する。膝の周りや外反母趾の部分には「サロンパス」を張り、ふくらはぎには「エアーサロンパス」を吹き付け、膝の後ろの柔らかい部分にはハーブ成分が煉り込まれた「足すっきりシート休足時間」を巻いて綿のサポーターで保護する。サロンパスや休足時間は、高校の同級生、チサさんが持たせてくれたお餞別。脚がスースーして、気持ちいい。

まずは階下のレストランで乾杯。ハムのボカディージョを頼み、生ハムを肴にビール「エストレージャ・ガリシアEstrella Garicia」をぐびぐび。ふうむ、これまで飲んだスペインのビールでは、これがいちばんおいしいな。ブランド名を覚えておかなくちゃ。喉の乾きもおさまったから、洗濯物が乾くまで、ちょっと昼寝しますかね。

「ヨシコちゃん、起きて、起きて」。どこかで声がする。ん? 私は3時間も昼寝していたらしく、もう20時だ。あわてて階下のレストランへ降り、夕食。

違うおかずを少しずつ分け合って食べる。カルド・デ・ガジェゴ(ガリシアのスープ)は、塩漬けされた豚肉で味を整えた野菜のポタージュスープ。滋味深い味だ。

大きなミックスサラダを食べながら、ビタミンを摂取する。過激な運動で相当ビタミンを消費した気がする。

三角形に切り分けられたパイは、エンパナーダというスペインの定番料理。このエンパナーダの中には、ツナが入っている。

生ビールを1杯。その後、ジントニックを頼んだら、普段飲んでいるのの3倍程度のジンが大きなグラスに注がれた。標高が高いところで強い酒を飲むと、さすがの私も酔っぱらう。顔が真っ赤ですがな。いかん、いかん、清く美しい巡礼がぶち壊れとる。

最初の難所を越えた疲労と安心感で、22時、コテンと眠りに落ち、朝まで起きなかった。翌9月14日は6時45分に起き、昨日の残りのパンと水を食べてから7時35分に出発。まだ外は薄暗いが、オ・セブレイロ峠の頂上を目ざし、山道を登っていく。

次第に夜が明け、紺色から水色、ピンク色、オレンジ色と空の色が変わる。体も、だんだん暖まってくる。昨日はあんなに疲れていたのに、入浴、食事、睡眠でしっかり回復し、自分の心身が再生していることがうれしい。うれしいから足取りも軽くなる。

8時20分、1時間も歩かないうちに、とうとう標高1300メートルの頂上に到着。バンザイ!と思わずガッツポーズが出る。

サンティアゴ巡礼道で最も古い、9世紀に建てられた石造りの「サンタ・マリア・ラ・レアル教会」が建っている。この教会は冬の間、霧に迷う巡礼者を導くために鐘を鳴らし続けたのだそうだ。季節によっては峠の下に雲海が広がるというが、今日は全くなし。

わらぶき屋根の「パジョーサ」が見える。ヨーロッパの端っこでひっそり残るケルト民族の文化は素朴で美しい。イングランドやスコットランドの田舎町の町並みを思い出す。ごつごつする石敷きの道を歩いていると、冷たい風が頬にあたる。カフェに入って、暖かい飲物を飲もう。私はカモミール茶、あっちゃんはカフェ・コン・レチェ。

ほっこりしていると、大阪のヨシオから電話がなった。「管さんが小沢さんに圧勝したぜ」。ああ、そうだった、今日は民主党の代表選挙の日だ。日本の近未来をスペインの峠で知った。

2010年11月3日水曜日

Peregrina a Santiago(14)


あっちゃんは登り道が得意で、平地で歩いている時とあまり速度が変わらない。かたや山道が苦手の私の足は、登りで一気に足が重くなり、息が上がる。二人の間の距離はどんどん広がっていくが、お互いのスピードで歩き続ける。これはいつもと同じ状況だ。

私たちが2年半前から始めた四国遍路では、徳島県にある十二番札所・焼山寺への山道が「遍路ころがし」と呼ばれる最大の難所だ。700メートル程度の峠を3つ超えるのに、あっちゃんは5時間、私は5時間55分かかった。これだけの体力差、運動能力差がある。

「焼山寺と比べるとどうだろうね」が、私たちのいつもの視点だ。幸せやしんどさは相対的なもので、目の前の不幸や苦役が過去のそれより軽そうなら、何とか乗り切れるだろうと思えてくる。焼山寺のあの難所を越えたんだから、が私たちの小さな自信になっていた。

オ・セブレイロ峠の勾配は、焼山寺に比べればゆるやかだった。だが、ひたすらダラダラとのぼりが続き、これといった休憩所がない。アクセントがなく、いつ終わるともわからない道が延々と続く。それも難所のカテゴリーに入るだろう。

半袖のシャツからのぞく左腕が、じりじり焼けてくるのがわかる。巡礼道はひたすら西に向かうから、午後になると太陽の位置は後ろから左方面に移動する。だから左腕は右腕より焼ける。沿道の樹木が少なく、強烈な太陽にさらされている丸裸の道。気温が高くなるにつれ、体力がぐんぐん奪われていく。スペインの日差しの強烈さ。それがオ・セブレイロ峠の伏兵だった。

ほかの巡礼たちもみんなしんどそうだ。普段なら「よい巡礼を Buen camino」が通り過ぎる時に掛け合う言葉なのに、今日は「暑いね」「疲れるね」が多い。健脚のあっちゃんは「抜いたり」「抜かれたり」だったが、弱脚の私は「抜かれたり」「抜かれたり」の連続。あっちゃんが道ばたで休憩していると、「あなたの友だちを後ろの方で見かけたよ」「あそこで休憩していたよ」などと、私の状況を何人もの巡礼たちが伝えてくれたという。

ハエも多い。巡礼道は牛が落とした糞でいっぱいだ。乾いた糞も生乾きの糞もある道は、ハエの住み家でもある。牛やハエと共存しない限り、巡礼道は歩けない。慣れないうちはその臭いにも閉口した。

途中の商店でアクエリアスを飲み干して、若干、元気回復。ラ・ファバLa Fabaあたりが標高900メートル、そこから250メートル登ってラ・ラグナ・デ・カスティージャLa laguna de Castilla

1510分、標高1150メートルにあるアルベルゲに到着。今日はのべ8時間で3万4247歩、20.2kmを刻んだ。今日は“水もしたたるいい女”、ではなく、汗だけがしたたっているだった。

Photo by Atsuko

Peregrina a Santiago(13)



サンティアゴ巡礼道には、いくつかの難所がある。最も多くの巡礼が歩く「フランス人の道」(総距離780.5km)の場合、最初の難所はフランスとスペインの国境、ピレネー山脈の峠越え。フランス側にある標高200メートルのサン・ジャン・ピエ・ド・ポーSaintJean PieddePortから、標高1430メートルのレポエドール峠を越え、スペイン側にあるロンセスバージェスRoncesvallesを目ざす難所だ。

こんな大きな峠を越えるのではなくても、巡礼道には1日の間に何度もアップ&ダウンを繰り返す場所も多く、それも体力を消耗する。

「巡礼は人生と似ている。高い山を越える道より、何も風景が変わらない道を淡々と行く方が難しい」。大阪の国立民族博物館の「聖地★巡礼 自分探しの旅へ」特別展で放映されたビデオに出演した、元フランス軍人の巡礼、ミシェルはそう話していた。その意味ではピレネー越えより、延々と麦畑や台地が続くだけのメセタ(イベリア半島の最古の起伏。標高600メートルから700メートルの平原)をひたすら淡々と歩き続けることも難所だろう。

私たちの進む、ビジャフランカ・デル・ビエルソからサンティアゴ・デ・コンポステラへの186kmの途上にあり、巡礼道最後の難関と言われるのがオ・セブレイロ峠O Cebreiro。どんな道なんだろう。そもそも“へたれ”の私は、朝からビビりながら歩いていた。

トラバデッロから3.4kmほど歩いてラ・ポルテラ・デ・バルカルセLa Portela de Valcarceへ、2.7kmほど歩いてベガ・デ・バルカルセVega de Valcarceへ 、2.2mk歩いてルイテランRuitelánへ、1.8km歩いてラス・エレリーアスLas Herreríasへ・・・と小さな集落を過ぎていく。

巡礼がもつ「杖・ひょうたん・ホタテ貝」を無人で売っていたり、水飲み場で水をくんだり、カウベルをつけた茶色の肌の牛たちの群れとすれ違ったり・・。ほほえましい街角、牧歌的な風景。200メートル程度の勾配を、少しずつ登っていく。

ベガ・デ・バルカルセでは、おしゃれなパン工房を発見し、早めのランチをたべた。後で考えると、スペイン巡礼道で最もおいしいボカデージョ(スペインのサンドイッチ)はここのだ。店内に香ばしいパンの香りが広がり、焼き上がったばかりのパンはさくさくしている。中の生ハムの塩味もちょうどいい。一人前を半分に切ってもらい、あっちゃんと分けて食べた。貧血を治すための鉄分サプリを服用している間は、本当はカフェインを飲んではいけないのだけれど、ここだけは、と紅茶を飲んだ。カップもかわいい。

だんだん集落がなくなり、アスファルトの道も途切れ、いよいよ山道に入る。ここから600メートルをのぼる登山道が始まる。

2010年10月27日水曜日

Peregrina a Santiago(12)



消灯時間が過ぎた後、翌朝7時ぐらいまでアルベルゲの中はまっ暗だ。夜中にトイレに行く時も、朝、歯を磨きに行く時も、各自が懐中電灯で照らしながら行動する。たとえ朝寝坊しようと思っても、6時前から登山用ヘッドランプを頭につけてゴソゴソ動く人がいるので、物音で自然に目が覚めてしまう。

9月13日、巡礼2日目。ランプを照らしながらトイレと洗面、着替えをすませた。6時30分には階下のリビングで、昨日、バルで購入しておいたチョコマフィン、カステラと、カロリーメイト、水で朝食をとる。その横をどんどん巡礼たちが出発していく。老若男女みんな早起きだ。

リビングの片隅に動く小さな陰。うっ、ネズミだ。普段なら「げ〜、ネズミが出る宿かよ」と怒るところだが、人とてネズミとて生きものには違いない。巡礼を始めたとたん、この変わりよう。私ってこんなに寛容な人間だったかしらん。

まっ暗な中、足や腕のストレッチをすませ、7時10分に出発する。あっちゃんは長袖のシャツを、私はレインウエアの上着を着込んでいるが、冷気が肌を刺す。145度ぐらいではないだろうか。教会、水飲み場、バル、アルベルゲが面していた細い道路は、サンチャゴ巡礼通りcalle de camino Santiagoという名前だったらしい。道路表示を見ながら、これ以上の名前はないな、と思う。

2本のストックをつきながら道に沿って歩く。車道と歩道の境界には、60センチほどのコンクリート壁があるので、車が横を通り過ぎても危険な感じはしないが、まっ暗な中での巡礼は少々不気味だ。ウエストバックにつけた自転車用ランプで道を照らす。目をこらすと、ぽつぽつとザックを背負った巡礼たちが歩いているのが見える。

ん? ぷぅ〜んと変な臭いが漂ってきた。歩くにつれ、悪臭が近づいてくる。それがピークに達した時に道を照らすと動物の排泄物が。犬だろうか、牛だろうか、馬だろうか。

巡礼には3種類がある。「徒歩」組、「自転車」組、そして「馬」組だ。この歩道を歩いたとするなら、馬に乗った巡礼だろうね。ということで、今回は馬の落とし物と判断する。馬巡礼は、自分の分だけでなく、馬の寝床と食糧も確保しなければならないから、なかなか難しいという。巡礼の統計を紹介しているNPO法人日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会のホームページによると、9月には163人の馬巡礼がサンティア・デ・コンポステラに到着したそうだ。すごいや。

今はサマータイムが導入されている季節で、日の出は8時20分ぐらい。空が明るくなり始めると、もうランプを消しても道がはっきり見える。

コンクリートの道を離れて土の道に入ると、街が近づいてきた。木材を高く積んで乾燥させている。8時5分、トラバデッロTrabadeloという町のアルベルゲで一服。フレッシュなオレンジジュースをいただき、喉を潤す。気温が上がってきたし、体も暖まってきたので、もう上着を脱いでも大丈夫だ。

巡礼手帳にはスタンプを押してもらう。だいたい1日1か所以上が目安で、サリアSarriaという町以降は、1日に少なくても2つ以上のスタンプが必須となる。徒歩巡礼の場合は100キロ以上、自転車巡礼の場合は200キロ以上歩かないと、最終日、サンティアゴ・デ・コンポステラで巡礼証明書を発行してもらえない。本当に徒歩や自転車だけで巡礼して来たかを証明するのがスタンプというわけだ。だから、宿泊したアルベルゲや立ち寄った教会、バルなどでスタンプを押してもらう。店の人が押す時もあるし、カウンターにスタンプが置いてあれば、自分で押せばいい。

四国遍路にはご朱印、サンティアゴ巡礼にはスタンプ。お遍路さんは菅笠、金剛杖を持ち、白衣(びゃくえ)を身にまとう。巡礼は杖(ストック)とひょうたん(ペットボトル)をもち、ほたて貝をぶら下げて歩く。ご朱印やスタンプは、長い道のりの励みになる。お遍路も巡礼も、誰からみてわかる出で立ちをしている。とても共通点が多い。

空海に鍛えられ、サンティアゴに導かれ、私たちは歩く。今日はいよいよ私たちのルートでの難所、オ・セブレイロ峠に入る。

2010年10月25日月曜日

Peregrina a Santiago(11)



「レストランは19時から」と書いた紙が玄関のドアに貼ってあった。レストラン? ああ、そうか。さっき通り過ぎた小さなバルがこの街、唯一のレストランなのだ

まずはバルの外に作られた簡易テーブルで、生ビール(カーニャcaña)をぐぐっと飲む。1杯1.3ユーロ(約145円)。夕焼けの空が広がり、涼しい風が吹いてくる。もう1杯、ぐびぐびぐび、ぷはー。「私たちはスポーツドリンクよ」。声をかけてくれた隣席の巡礼たちはアクエリアスを飲んでいる。

夕食の前に、教会を見学することにした。でも、教会のドアには鍵がかかっている。「中を見るのかい?」と、向かいの家の2階からおばあちゃんが声をかけてくれた。さっきの「bebeじいちゃん」の奥さんだろうか。

エプロン姿のおばあちゃんは、大きな鉄製の鍵でサンタ・マリア・マグダレナ教区教会のドアをあける。入ってすぐ左手に聖サンティアゴの石像がある。本堂では、赤いロウソクに灯された火がゆらゆら揺れている。小さな小さな本堂。「こっちがマリア様、こっちがマグダラのマリアよ」。聖人たちの説明をしてもらう。

ここは、20戸ほどの小さな街のコミュニティの中心部でもあるのだろう。レオンのゴージャスなカテドラルとは正反対の信仰の場、その慎ましさに胸がつまる。

この教会、とっても古そうですね、と言おうとしたが、「古い」というスペイン語が出てこない。情けなや。しかたないので、「この教会、若くないね」と言うと、おばあちゃんは大きくうなづく。「ええ、とても古いの。1014年に完成したのよ」と“聞いたような気がする”。数字の聞き取りは苦手だ。

「あなたたち、いつごろサンティアゴに着く予定なの?」「9月21日に到着するつもりです」「まあ!あと9日しかないじゃないの。うーん、ビミョーかも」「ええっ、そんなに遠い?」「そうね、明日から、少しずつ少しずつ歩く距離を上乗せして行きなさいな。そしたらきっと着くわ」

このおばあちゃんのアドバイスが私たちを発奮させた。サンティアゴ・デ・コンポステラへはあと179.2キロ。予想していたより過酷な道なのかもしれない。少しだけ無理をして、前へ前へと進んでいこう。「巡礼旅の最後まで元気に歩き続けられるよう、どうぞ私たちを導き、お守りください」。小さな教会で祈った。

レストランの客はすべてアルベルゲに泊まっている巡礼たち。Menú del día(今日の定食)から、第1の皿、第2の皿をチョイスする。

あっちゃんは、レンズ豆のスープにポークソテー。私は野菜の煮込みにマスのニンニク焼き。これに陶器製カラフェの赤ワインがつく。ワインは一人3杯分はあるだろうか。デザートは二人ともヨーグルトを選んだ。

なかなかおいしいし、野菜をふんだんにとれるのはいいけれど、定食の量はとてつもなく多い。スープや煮込みは、ふだん私たちが食べる量の3倍はある。第一の皿だけで胃袋はいっぱいだよ。ワインがついて1人前10ユーロ(約1100円)というのがスゴイ。

2130分、マットレスに虫がこないよう、ハッカ油の虫除けスプレーをふりかけ、その上に広げたシュラフにもぐりこんだ。誰のいびきにも、誰の歯ぎしりにも悩まされない、静かな巡礼第一夜だった。

Photo by Atsuko

2010年10月24日日曜日

Peregrina a Santiago(10)

小さなバルをすぎると、山小屋風のアルベルゲに着いた。今日歩いた巡礼道は1時間30分ほどで7.2キロ。まあまあの早足で進んできたように思う。まだ巡礼を始めたばかりで疲れていないからだろう。朝からの総徒歩数は14075歩。この程度ならラクだけど、強い日差しに結構汗をかいたな。早くシャワーを浴びたい。

アルベルゲのオスピタレロに「ベッドはありますか¿Hay cama hoy?」と聞く。シングルベッドの並ぶ1階は満室だけど、2階なら空いているという。その2階の説明がわかりにくい。「一度、見ておいで」というので階段を上ると、広い屋根裏のような空間に、ぶ厚いマットレスが何枚も敷いてあった。床に雑魚寝だけど、これで十分。オスピタレロに5ユーロを払う。

アルベルゲAlbergueは、スペインの巡礼道沿いにある「巡礼宿」のこと。レフヒオRefugioいう場合も同様だ。公営と私営があり、公営の経営母体は自治体や教会、修道会など。原則は予約できず、受付は先着順。公営の方が受付人数や門限などに厳格だ。通常は一泊しかできない。公営は5ユーロ〜、私営は10ユーロ前後〜。宿泊代というより、寄付金に近い感覚。

一般的なアルベルゲでは二段ベッドがずらりと並んでいるが、一段ベッドのところ、床にマットレスを敷いたところも。一つの建物の中にアルベルゲ(ドミトリー)と、個室を併設しているところもあり、それぞれ室料は異なる。シャワー(浴室、洗面室)、洗濯場・物干し場、キッチン・食堂などの有無やレベルはいろいろ。シュラフ(寝袋)や石鹸類、タオル類は持参する。

まずはお風呂ね。一人がお風呂に行く時は、残り一人は荷物の見張り番となる。一人旅なら貴重品を浴室までもっていかないといけないので、この点は便利だ。

しばらくすると、先発隊のあっちゃんが、びちゃびちゃに濡れたサンダルで戻ってきた。二番手の私は綿の簡易スリッパを持ってお風呂へ。トイレ2室とシャワー2室、洗面台、洗濯機がある部屋だ。シャワーから熱いお湯が出るのはうれしいのだが、その水がすべて部屋の床全体に流れる設計になっている。あっちゃんのサンダルが濡れた理由がわかった。

お湯と寝床があるかぎり文句はいうまい。入浴後には、化粧水と美容液で顔をケアし、足の裏やふくらはぎもしっかりマッサージする。こうしてケアしておくことで疲れた体はスムーズに回復するし、手を抜けば翌日には筋肉痛となり、痛い目に会うことは四国のお遍路で十分経験している。

中年女の肌にはスペインの強い日差しと乾燥は大敵だ。たとえ荷物が重くなっても、日焼け止めと、保湿効果の高い美容液は必携。こんなこと、若い時には考えもしなかったな。おまけに私は数日後から、月経を止めるためのホルモン剤を服用する予定だ。このホルモン剤への注意書きは「副作用は、光によるシミの発生が増えること。しばらくは直射日光にあたるな」である。ふえーん。日光に当たらずにスペインを歩けるかい。

普段のお遍路では、日焼け止めを塗って眉毛を書いたら完成だが、今回の巡礼ではファンデーションもつけている。「BBクリームにしたら便利だよ」とあっちゃんは言うのだが、皮膚が弱いので、使い慣れていない化粧品を旅先で使うのに抵抗があり、普段の化粧品をもってきた。おばちゃんには、おばちゃんなりの苦労があるというもんさ。

洗面台で下着やシャツを洗濯し、庭に干したら、今日の“しごと”は終了。さて、ビールでも飲みにいきますか。

2010年10月23日土曜日

Peregrina a Santiago(9)




「私についてきて」とカトリンは言った。

20代の学生だろうか。「アップダウンの道ばかりで疲れたわ〜。私は今日ここに泊まるつもり。今からアルベルゲに行くから一緒についてくればいいわ」。カトリンは英語でそう話し、沿道で出会った奥さんに、巡礼宿アルベルゲへの道をスペイン語で聞いている。日本語で「こんにちは」「ありがとう」は何て言うの?と聞くので、教えるとさっと発音してみせる。「すごいな、何か国語も話せるし、日本語の発音もばっちりだよ」「スペイン語はそんなに話せるわけじゃないのよ」と照れるカトリン。

「あ、そうだ、私たちのザックはドイツ製のドイターだよ!」。あっちゃんと私は、背中のドイターをカトリンに見せる。「ドイツ品質はナンバーワンでしょ?」とカトリンは自慢したが、「でも、私のザックはパパから借りてきた、お古だけどね」とはにかむ。ドイツの若い女性は本当にチャーミングだと思う。

「私の名前はヨシコ」「私はアツコ」「うーん、聞いたことのない響きだなぁ。発音が難しいね」「ヨシコってのはね、日本の女性にはよくある名前で、ドイツでいうなら、まぁガブリエルだね。私は日本のガービ(ガブリエルの愛称)なわけよ」。「なるほど!納得した」とカトリンは笑う。

坂道の途中で、一人の若い女性が疲れて道端に座り込んでいた。「どうしたの?どこからきたの?」とカトリンが尋ねると、同胞だったらしい。二人がドイツ語で話し始めたので、私たちは先にアルベルゲに向かった。

アルベルゲの玄関にはハエがぶんぶん飛んでいる。実はこの先の道中も、ずっとハエに追われる毎日が続くのだが、この時は、ここがたまたま不潔でハエが多いんだろうと私は決めつけていた。オスピタレロ(アルベルゲの世話人)は長電話中だ。受け付けに客が待っていても、のんびり電話を続ける。スペイン時間がゆったりと流れる。

「どうする?ここに泊まる?」「まだ時間は早いし、少しでも歩こうか」。あっちゃんと協議の末、オスピタレロに巡礼手帳への最初の手続きだけお願いした後、この街を去ることにした。

「カトリン、私たち、行かなくちゃ。よい巡礼をBuen camino そしてよい旅をund gute Reise!」。スペイン語とドイツ語で別れを告げると、「ありがとうVielen Dank!」と歯切れのいいドイツ語が返ってきた。

街のレストランでピザと野菜サンドイッチ、オレンジジュース、コカコーラ(一人7ユーロ相当)で腹ごしらえをし、1440分、いよいよ巡礼をスタート。

黄色い矢印が、道路や曲り角の壁に描かれているので、道を間違うことはない。四国の遍路道より、うんとわかりやすい。サンティアゴの巡礼道自体が世界遺産に登録されている。スペイン語を知らない、スペインの地理に疎い巡礼たちがきても、ここなら不安なくサンティアゴ・デ・コンポステラに向かうことができる。この安心感は最終日まで揺らぐことはなかった。

ピーカンの空のもと、標高500メートルの道を進む。川にかかる橋のたもとには、石の巡礼像が立っている。私は今、巡礼として歩いているんだなぁ、この道は何世紀も同じ顔で巡礼を迎えてくれたんだ・・なんだか顔が立松和平になってくるではないか。

国道に沿って歩き、途中で国道を離れて細い道に入る。16時、ペレへPerejeという小さな街に到着。

朽ち果てたような小さな教会があった。道路脇にある石の壁から蛇口が突き出ている。飲めるのだろうか。教会の前の家で夕涼みをしていたおじいちゃんが叫ぶ。「飲めるよ、飲んでおいき¡Bebe!」

Bebe・・・おお、飲むbeberの二人称()に対する命令形ではないか。うひょひょひょ、命令形の実地訓練だよ、トシさん。スペイン語を教えてくれた先生トシさんの顔を思い出した。

2010年10月22日金曜日

Peregrina a Santiago(8)

日曜日なのに、勤勉な日本からの巡礼は6時に目を覚ました。部屋で、クラッカー、すもも、オレンジジュース、水で軽い朝食をとる。私はいびきをかいていたらしい。少し喉がイガイガするし、なんだか寒い。

「あったまりたいから朝風呂に入るわ」。お風呂にお湯をはって体を沈め、暖まった後にジキニンを服用する。これで風邪の初期症状はおさまるはずだ。

ヨシオから電話があったので、レオンのバル情報を伝える。彼も9日後にはレオン入りするからだ。ザックを整え、ホタテ貝をぶら下げ、トレッキングシューズの紐をきゅっと結び直し、巡礼としてのたたずまいを整える。チェックアウトしてすぐバスターミナルへ。ビジャフランカ・デル・ビエルソまバスで125キロほど移動してから徒歩を始める。

出発まで小1時間あるので、併設されたカフェに入った。あっちゃんはカフェ・コン・レチェ(カフェオレ)、私はレモンジュース。チュロス(揚げパン)がついてきた。カウンターでコーヒーを飲んでいたおじさんが、「僕のチュロスもあげるよ」と1皿くれる。私たち、そんなに空腹に見えるのかしら。それとも巡礼へのお接待?

1015分、3番線にバスが到着。荷物入れにザックを入れ、運転手に9.45ユーロ(1060円)を払う。これから2時間30分も乗るのに、1000円の運賃って安いね。こちらに来てつくづく驚くのは物価の安さだ。とても暮らしやすい反面、スペイン経済の苦境をニュースで知っているだけに、複雑な気持ちになる。

ともあれバスは快調に走る。山の頂きで、いくつもの大きな羽根がゆっくり回っている。スペインは風力発電が進んだ国でもあるのだ。

小さな街をいくつも通り過ぎる。どの街にもパン工房panaderíaの看板があって、ここはパンの国なのだと実感する。

大きな駅前広場のあるポンフェラーダPonferradaに到着し、私たち二人はうっかり間違えて降りてしまう。目的地はここでないと知り、あわててザックをバスの収納庫に入れ、再び乗り込む。間違いに気付いてよかった。もし、ここで降りてたら22キロ以上よけいに歩かなくてはならない。

1315分。やっと終点のビジャフランカ・デル・ビエルソに到着。ドライブインでトイレを借りた。まずは巡礼手帳に、この街から巡礼を始めるスタンプを押してもらわなくてはならない。その手続きは、巡礼宿アルベルゲか教会でする。どこにあるんだろう。

着いたばかりで要領を得ない私たちに救いの手を差し伸べてくれたのは、ドイツからきた若い女性巡礼、カトリンだった。

Peregrina a Santiago(7)



夜のとばりがおりたレオンの街。そぞろ歩く人の数は中心部に近づくにつれて増えていく。

さっきホテルで書いた絵葉書に貼る切手を買わなくちゃ。フロントで聞くと「うちは扱っていません」。え、ホテルなのにないの? 1泊1室58.32ユーロ(6500)の安ホテルだからかなぁ。街の新聞や雑誌を売っている店に入り「切手ある?」と聞いてみたが「no」。ま、明日からの巡礼道のどこかに、郵便局はあるでしょうよ、どこかで買うわと簡単に決めつけた私は後々、エライ目にあう。

フラメンコを愛する大阪のニシムラさん、アメリカの心理療法家のミッコ、ロンドンの翻訳家キョウコちゃんに書いた絵葉書を、なんと最終地点のサンティアゴ・デ・コンポステラまで運ぶ羽目になるのだ。まさか、この先の道中、切手が買える郵便局がないという事態を、レオン滞在中の私が知るわけはなかった。

21時、目ざすはバリオ・ウメド。カテドラルに向かう参道の東側に広がる下町の一角だ。さすが土曜日。スペインの週末の威力に度肝を抜かれる。おそろしいほど多くの人がワインやビールを飲んで、わぁわぁ盛り上がっている。みんな、飲みまくってる!

「ヨシコちゃんがよさそうだと思う店に入ってみて」とあっちゃんは言う。とりあえず近隣を一周してみて、よし、ここだ! 生ハムの塊が何本もぶらさがっている店を選んだ。

まず、ビールを1杯。「Amstel」というブランドの生ビールで、あっさりしたラガー。あっと言う間に2杯飲む。忙しそうに働くバルのおにいちゃんたちに、なかなか声がかけられない中、やっと「この店の生ハムjamon de casa」を注文した。

う、うまい!だいたい日本で生ハムを頼んでも数枚しか出てこないけど、こっちは大きな皿にスライスされたハムがたっぷり並んでいる。食べ物の量に幸せを実感するのは、昭和生まれだからかしらね。お勘定は18ユーロ。一人1000円程度。

バルでは長居しないのが鉄則。1杯飲んで次の店へはしごをするのがスペイン流だ。

人ごみをかきわけバリオ・ウメドを出る。ライトアップされたカテドラルは、昼間とは全く違った顔をしていて、荘厳な美しさに息を飲む。サン・イシドロ教会のライトアップも見事だ。石造りの建物がライトに照らされて淡い飴色に浮かび上がっている。

「さて、2軒目のバルに行きますかね、あっちゃん」「そうこなくちゃ、ヨシコちゃん」。今度はサン・イシドロ教会に近い小道を歩いてみて適当な店に入る。こっちの方が、バリオ・ウメドよりちょっとハイソな感じ。タパスが並んでいる店が普通なのかと思っていたら、案外タパスが並んでいない店が多い。カウンターに座って赤ワインを注文する。下町のバルと違って、キラキラ輝くしゃれたグラス。

タパスを頼むと、骨付き豚肉の一口唐揚げとポテトが小さなお皿に盛られてきた。

もう23時に近い。お勘定をお願いすると二人で赤ワイン2杯とタパス1皿で、3.2ユーロ。ええっ、360円!? ひとり180円!?

安い、うまい。ビバ、スペイン。酒飲み天国! るんるん気分で帰り道を歩く。こんな極楽も今宵限り。明日からはいよいよ巡礼が始まるのだ。

Peregrina a Santiago(6)



スペインの空は、抜けるように高く、透明感のある青で満たされている。朝から雲一つなかったが、午後になると日差しが強くなった。サン・マルコス修道院へ到着。左右に張り出したファサードと、手入れされた前庭がとても美しい。

正確には旧・修道院で、今は教会と展示室ととともに、パラドールになっている。パラドールとはスペイン特有の国営ホテル。古城、貴族や領主の館、由緒ある修道院などを一流ホテルとして改装したもので、歴史的な重厚さと近代ホテルの快適さが味わえる贅沢な宿だ。スペインで92か所あり、室内もさることながらサロンや庭など公的スペースの贅沢さ、美しさが必見と評判だ。

サン・マルコス修道院の展示室は無料で、壁一面に施されたさまざまな彫刻の意味がわかるよう、web画面を使ったガイドがとてもわかりやすい。教会ではミサが始まり、端っこの席で参加させていただいた。神父のスペイン語によるお説教は理解できないが、「主(しゅ)はおっしゃいました」などの文言には、el Señorが使われている(男性を表すseñorに不定冠詞el がついている)

前の席には、ベビーカーの中ですやすやと眠る赤ちゃんと、スーツをきた若い夫婦。赤ちゃんが洗礼をうけるのかしれない。一連のミサが終わると、隣や前後の参列者同士で握手をしたり、ハグをしたりしている。

NPO法人日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会の相談会で知り合い、クリスチャンとして巡礼道を歩いたイサカさんに聞いてみると、こうしたミサでの行為は「平和の挨拶」というらしい。「日本では『主の平和』と言いながらお互いお辞儀するのですが、国によって、あるいは参列者同士の関係によって、ハグしたりキスしたりいろいろです」とイサカさんからの受け売り。私は信者じゃないけど、隣の人、前の人と握手をした。

信者だけが参加できる聖体拝領が始まる前に教会を抜け出し、隣接するパラドールに行く。どっしりして天井の高い内部。あぁ立派だなあ。時計を見ると、もう0時30分。空腹なり、喉が渇いたなり。1階にあるバルへ直行する。ビールだ、ビールだ!

生ビールを1杯。そして、レオンの大地のワインと名付けられた赤ワインvino tierra de Leónを1杯。卵とサーモンのサンドイッチ(8ユーロ)と、モルシージャ(血の入った豚の腸詰め)を春巻のような皮でタバコぐらいの細さに巻いてかりっと揚げたcigarillos de morcilla de León(9ユーロ)がめちゃおいしい。

「ここの赤ワインおいしかったわ!」とバルの老ウエイターに言うと「そりゃレオンの葡萄を使ってますからね」と胸をはった。おつりの小銭は彼に差し上げる。

スーパーで1、5リットルサイズの水、オレンジジュース、すももを買って、いったんホテルに帰る。16時から昼寝。郷に入れば郷に従え。シエスタをちょっとだけ楽しむ・・・はずが、はっと目を覚ますと20時30分を回っている。

うわわ、昼寝しすぎた。飛び起きる。今日のメインイベント、居酒屋めぐりに出発だ!

2010年10月19日火曜日

Peregrina a Santiago(5)

窓を開けると、ひんやりした風が入ってくる。スペインの6時30分はまだ夜中だ。窓から見える空には、オリオン座がまたたいている。昨日は1日中、機内食や飲物など小分けに食べてきたせいだろうか、起きたハナから空腹感を覚える。あっちゃんとともに機内サービスでもらったクッキーを食べる。

身支度をして、フロントに降りたのが8時過ぎ。「おはよう¡Buenos dias!」。昨夜とは違うフロントマンから、パスポートを返してもらい、まずはバスターミナルへ。気温16度。長袖のシャツでも冷気を感じるほど。空が高い。もう秋の空だ。クソ暑かった大阪の夏が妙に懐かしい。

5分ほどでバスターミナルに到着した。「ビジャフランカ・デル・ビエルソVillafranca del Bierzoまでのバスは何時に出ますか?」「明日は日曜日だから、いつもより本数が少ないの。1030分出発ね。2番線か3番線のはずよ」「予約できますか?」「予約は不要。明日、バスのドライバーに直接、お金を払ってちょうだい」

バスのこと以外の質問には答えませんと張り紙があるインフォメーションで、バスのことだけを聞いた。

今日は1日観光。まだ巡礼が始まっていないから気持ちはラクチンだ。ベルネスカ川にかかる橋を渡って、レオンの中心部へ進む。うわ、横断歩道の信号機に「あと何秒」の時刻表示が出ている! 大阪駅前の信号機を思い出してニヤニヤしてしまう。サント・ドミンゴ広場を抜けると、ガウディが設計した「カサ・デ・ロス・ボティーネス」。建物の四隅にガウディらしい尖塔がついている。今は銀行として使われているそうだ。

まずはカテドラルへ。いかめしい門の前には、自転車で巡礼道をまわっている巡礼たちが記念写真を撮っている。おじさんばっかりだけど、サイクルウエアが体にびしっとフィットして、とてもかっこいい。カテドラルはゴシック様式の重厚な建物で、内部を彩るステンドグラスは100枚以上あるという。まだ朝の光が弱くて、もう一つ輝きが悪いのが残念だけど。

どこかで朝食をとりたいのだが、カテドラル界隈の飲食店はあいていない。おまけに誰に聞いても、旅行案内所の場所がわからない。ガイドブックに書いてあるところには、それらしき施設がないのだ。ともかく歩き回ってみる。途中で青空市場が開かれていて、フルーツや野菜がおいしそう。街は、細い道がクモの巣状に広がり、中心部に集約されてこない。一般的なお店の多くが閉まっているので、街の概要がつかめない。スペインの古い都市や城郭都市の街歩きの困難さには、この先も悩まされるのだが、そのしょっぱながレオンだった。

やっと、あいているカフェに遭遇。ハムのボカディージョとオレンジジュースを飲む。ボカディージョとは、スペイン語でサンドイッチを意味するが、フランスパンより重めで歯ごたえのあるパンで作られている。しっかり顎を使って食べる。

遅い朝食を済ませて外へ出ると、街はにぎわい始めている。やっとツーリストインフォメーションを発見。ビルに看板も表札もないので、分かりにくかったわけだ。街の地図をもらう。どうやら一般的な店の開店は10時以降らしい。おまけに今日は土曜日。なおさら朝が遅かったのだろう。土産物屋で、巡礼の印、ホタテ貝(コンチャconcha)を一つ2ユーロで買う。

次はサン・イシドロ教会へ。レオン王国の王家一族が眠るパンテオン(王家の霊廟)は、ロマネスク美術のシスティーナ礼拝堂とも呼ばれ、天井に書かれたフレスコ画が美しい。ドイツ人のグループが熱心にガイドの説明を聴いている。

私は、ゴシック様式よりロマネスク様式の建物の方が落ち着く。ゴージャスなカテドラルは美しいけれど、どことなく古く田舎っぽい建築の方が好きなのは、同じ仏像でも京都より奈良の方が好きなのと同じような理由かしら。

でも、ゴシックとロマネスクの建築様式の相違を正確に理解してるわけじゃない。ゴシック様式は細く長く、尖塔があり、天井が高い。ロマネスクは、半円アーチが多く使われ、天井の模様も丸いラインが目立つ。これぐらいしかわからない。

もう少し勉強がいるな。帰国後の宿題としておこう。

2010年10月14日木曜日

Peregrina a Santiago(4)

搭乗時間が刻々と近づいているのに、搭乗ゲートが確定されない。どういうことなのだろう。2135発のイベリア航空8472便はひどく遅れているようだ。売店でペットボトルの水を買い、ちびりちびりと飲む。このペットボトルに何度も水を入れながら、旅の最終日まで持ち続けることになろうとは、この時には知るよしもない。

何度も案内板と待合い椅子の間を往復する。窓の外はどんどん夜景に変わっていく。出発予定時間になって、ようやく到着した機内から人が吐き出されてきた。KLMとイベリア航空では事情が違うようだ。

やっと搭乗。でも、その後も空港内で随分待機し、出発したのは2300。眠くて朦朧としているうちに、機体はレオンへ目ざして飛翔を始めた。真夜中の離陸。オレンジ色のランプがきらきらと反射する。夜の空港は本当に美しい。これまでの旅のいろいろな夜景を思い出す。

マドリッドMadridとレオンLeónの間は50分。上昇が終わり、しばらくまっ黒な大地と並行して飛んでいたかと思っていたら、下降を始めた。日付が変わるころに、レオンに到着。タラップを降り、小さな空港ビルまで歩いていく。さ、寒い、寒すぎる! 気温16度の表示に、半袖の私はとことん震え上がる。

こんな時間になってしまい、まさかホテルの部屋はキャンセルされてないよね、と急に心配になり、空港から電話する。レンタルした国内専用携帯電話、ドキドキ。英語が通じない。最初の「Hello」からして、さっぱり通じない。しかたないので、訥々とスペイン語を使う。

「わたくし、予約しておりますヨシコですが」

「今、どこにいらっしゃいますか?」

「レ、レオン空港なんですが・・・」

No problem!」(ここで突然、会話は英語に変わった)

空港で拾ったタクシーのドライバーは、「あそこはカテドラルだよ」「ここが巡礼の道ね」と説明してくれるが、まっ暗なのと、眠くて頭が回らないので、いまいち街の状況がわからない。ドライバーに20ユーロほどを払い、午前0時20分頃、「Temple riosol hotel」に到着。さっき電話で話したフロントマンは、赤い縁の眼鏡をかけたおじさんだった。

「ボクは、英語はちょこっとしかできないの」。ちょこっとを意味するスペイン語「ウンポコun poco」を強調して笑う。その「ちょこっと」が「No problem!」だったのね。

「おやすみBuenas noches」と言って部屋にあがったのはいいが、ヨーロッパのホテルにありがちな古いタイプの鍵で、今度は部屋のドアがあかない。再びフロントに降りて「開かないよぅNo puedo abrir」と訴え、あけてもらう。ちょこっとの英語と、ちょこっとのスペイン語の応酬。やれやれ。

午前1時、無事着いたことをヨシオに連絡。パスポートをフロントに預けたので、明日、返してもらわなくちゃ。辞書を調べてメモする。Devolve mi pasaporte,por favorでいいのかなぁ。

ざっと入浴し、ベッドへ。1時30分ぐらいに、よっぱらった客が2組帰ってくる。夜遊びの国だね、スペインは。なんだかぞくぞくするので風邪薬ジキニンを飲んで寝る。

長い長い1日。すぐ眠りに落ちた。

Peregrina a Santiago(3)

KLMオランダ航空 1705便は、ほぼ定刻の1640分に出発した。3列×3列のシートで、飛行機というよりバスに近いイメージだ。機内の温度が低かったので、ブランケットをお願いすると「ありません」。ひょえー、ヨーロッパ人って、機内で寒さを感じることはないのかしらん。

配られたサンドイッチとジュースを胃に流し込みながら、2時間30分、半袖シャツで耐える。

1910分、スペインのマドリッド・バラハス空港に到着。「KLMってパンクチュアルですよ。ボク、一度、空港で置いてかれたことがあるぐらいですから」と旅慣れたハマガシラさんが言っていたのは正しかった。乗客や天候の都合でたとえ出発が遅れても、何とか途中でがんばって到着に間に合わせる。そこに、たくましい「オランダ魂」を感じとる。

といっても問題はこれからだ。到着したターミナル2(T2)からターミナル4(T4)に移動し、イベリア航空の搭乗手続きをし、乗り込むまでに私たちの手持ち時間は145分しかない。

145分もあれば充分じゃん、と普通は思うところだが、(T4)でのMCTMinimum Connection Time :最少乗り継ぎ時間)は150分。広いか、遠いか、手続きに手間取るのか、何か事情があるので最低でも150分は必要だと決められたわけで、私たちの持ち時間は最初からショートしているのだ。

「昔はMCTにショートしていたら、その時点で航空券は発券されなかったもんよ」と、昔、外資系で秘書をしていたマキちゃんは言う。「結局、MCTをどう考えるかは、あなた次第ですね」と、今回、航空券をお願いしたフェスタ旅行のミチガミ社長にも言われた。

はいはい、自己責任で行きますよん。人生、なるようにしかならん。行けるところまで行ってみる。悩むよりは動け。これがこの50年で私が身につけた人生訓だもの。

西日がギラギラ照りつける。スペインは暑いぞ!半袖の私は、今度は暑さに耐える。

T2のバゲージクレームでザックをピックアップし、最も早く行けそうなルートを探る。T4へ向かう方法は2つ。「地下鉄」を選ぶか、ターミナル間を結ぶ「シャトル」を選ぶか。T4は4年ほど前に完成し、地下鉄の駅ができたのはごく最近。以前は、空港の外を走るバスかタクシーを拾うしかなかったのだという。

地下鉄の方が時間が読めそうだけど、とりあえずシャトルバスの停留所へ向かい、発車時刻を確認する。お、3分後には次のバスがやってくる。グッドタイミング。荷物をかかえてシャトルバスに乗ると、空港周辺のハイウエイを走る、走る、走る・・。T4って、どれだけ遠いんだ。車で10分以上離れていたのではないだろうか。

荒野の中に突然表れるどでかい外観。T4に到着したのは1950分。イベリア航空の窓口に行くと「自動チェックイン機を使え」という。だが自動チェックイン機の調子が悪く、機械には「有人窓口へ行け」と言われる。私は、機械と人の間を1往復、あっちゃんは2往復した。

ちっとも「自動」チェックインじゃなかったけれど、これで相当時間がつぶれ、急いで搭乗エリアへ向かう。搭乗開始時間は215分。

なるほど、広いわ、ここ。ウイングの向こうの方が霞んで見えないもの。

こんなターミナルで搭乗ゲートを間違えたら、おそろしいことになる。100メートルダッシュじゃない、1キロランニングになること、間違いなしだ。