2009年11月29日日曜日

根なし草は柔軟な種族か

長年、「根なし草根性」が抜けなかった。いや、今もかさぶたのように残っている。
10年後、20年後もこの地域、この家にいるかどうかもわからない。
本心では、どこかへ移り住んで野たれ垂れ死ぬのもまた一興、と思っていたりする。

小さな地域の中で平和に生きていたのは、幼いころの12年間ほどだったろうか。
中学・高校は、近隣の3県から生徒が集まる進学校だったから、同級生の居住地も広範囲に広がった。家まで訪ねたことのある友は、ごく少数に限られている。
17歳で親の離婚や家業の倒産によって不動産を売却し、その土地から離れざるを得なかった。そんな者は、もう二度と元の土地には戻らない。父母は別々の区域に移り住み、そこに私の新しい居場所はなかった。

「実家の喪失感」に長年、苛まれた。
自分がつくった家族と、今住む街と、丁寧に育んできたコミュニティを、自分の新しい実家として処していけばいいのだ、と思い至るまでに、それなりの時間を要したと思う。
だから、大人になるまでずっと両親がいるとか、とりあえず経済的に困らなかったとか、故郷に対する自負心があるとか、自分の居場所のある地域に暮らしている人を見ると、なんだかうらやましいような、ねたましいような気がしたものだ。

ただ、大人になって、さまざまな事情を見聞きできるようになると、一見恵まれて見える人でも内情は違うのだ、と知る。
「兄弟の中で自分が最も実家に近いから」「転勤のない自営業だから」「結婚していないから」「長男だから」「女だから」と言った妙な理由から、親の介護を一心に背負い、地域に縛られ、苦しんでいる人も少なくない。
親も亡くなり、とりあえずは目の前の介護や扶養から開放され、気楽な本音と自分自身でコントロールできる時間をもち、憂鬱な人間関係のない地域で平和に暮らしていることを、最近は本当にありがたいと思えるようになった。
生まれ育った地域や実家の記憶は、そのまま母校の6年3組(男子19人 女子20人)の風景につながる。
同級生がどんな子だったかは、その子の「家業」と密着しているように思う。
実際には、サラリーマン家庭が多かったはずだが、自営業は地域に密着しているから、家や店とその一家がセットで記憶の網に封印されている。
母親はともかく父親まで知っているのは、おそらく自営業の世帯か、地域に関係する活動をしている世帯かだったのだろう。

都会の真ん中で、校区は大きな神社と縦横に走る国道で分断されていたが、自分の足や自転車で遊びに行ける範囲の中に、家、職業、親の顔をセットで覚えている同級生がいる。 男子19人の中で、親の家業まで知っている者は6人(楽器店、畳屋、履物屋、料亭、電機メーカー勤務、溶接工場)、女子20人の中では5人(ビニール袋製造、設計事務所、お茶屋、薬局、医院 )だ。
家業を知らない人がすべてサラリーマン世帯だったとするなら、自営業率は3割弱。
60年代後半から70年代前半の状況は、こんな程度だったろうか。

今は、地域の小さな商店は衰退し、サラリーマンでさえなくなった世帯も多い。
若年層も、高齢層も、単身世帯が増えているという。
生き残るのは、強い種ではなく、柔軟な種だ、という図式が、あちこちで実践されているのだろうか。
いったん固定された実家を失った後、根なし草の人生に漂っていたかに見えて、実は次々と押し寄せる新しい環境に柔軟に対応できる力をつけたいた時期だったのかもしれない、と今は思う。いったん固定された実家を失った後、根なし草の人生に漂っていたかに見えて、実は次々と押し寄せる新しい環境に柔軟に対応できる力をつけたいた時期だったのかもしれない、と今は思う。

2009年11月6日金曜日

選ぶ、選ばない、その基準

高知への旅。1日目は快晴。
太平洋とはこれほどまで大きく、明るいものかと、晴れ晴れとした気持ちで海岸沿いの道を歩きました。
2日目は天気予報通り、雨。午前中はもつかと思っていたのに、10 時過ぎからぽつぽつ降り始め、30分もすると大雨に。
レインウエアを着ていても、湿気と汗で体は濡れてきます。11時には、もう「じゃんじゃん降り」。ため息をつきながら歩き続けます。

「少しの雨なら風情もあるけれど、ここまで降るとねぇ」
「早めにランチをしようか。その間に、雨足が弱まるかもしれないし」
そう言い合って、旅の仲間4人とレストランへ入りました。雨はますます激しさを増すばかり。誰の顔にも憂鬱な表情が浮かんでいます。

どうやらこのお店、鯨料理が名物のよう。でも、ランチに何千円も出してまで豪華な料理を食べたいとは思いません。
「私は鯵フライ定食にするわ」
「カレーライスにしよう」
「私は親子丼でいい」
仲間たちは、手軽なものに決めたようです。

ふと目についたメニューが「鯨カレー」1000円。多分牛肉の代わりに、鯨肉を使ったカレーライスなんでしょう。私はこれを試してみようと決めました。
子どもの頃は、よく鯨が食卓にのぼったけれど、あまりおいしいとは思えなかったなぁ。大人になって、お酒を飲むようになり、大阪で「はりはり鍋」を食べてから、やっと鯨はおいしいと思うようになりました。おいしいと思える頃には、あまり頻繁に食べられない高級品になっていたわけですが。

一人の仲間がつぶやいています。
「鯨カレーってどんなんだろう。試してみようかな。どうしようかな」
店員さんを呼び、内容まで聞いています。でも、結局、他のメニューにしようと思ったらしい。
「だって、マズかったらイヤだから」

ああ、そうだった。彼女と私は、選ぶ/選ばない時の基準がかなり異なります。この日もそうだ、と改めて思いました。
自分の街にはない、ここでしかないメニューなら、私は真っ先に選んでみるタチです。もちろん、まずいかもしれないというリスクはありますが、それよりも初めてのものを食べてみたいという好奇心の方が先に立ちます。
おいしい、まずいは結果論。そりゃ、おいしい方が幸せに決まっているけれど、まずかったとしてもそれも旅の一面だろうと思います。
「まずかったらイヤだから選ばない」というネガティブな選択肢は私にはない。
いや、もし、いま選ばなくて、あとで「あれ、おいしいかったかもしれない」と後悔する方が自分では嫌なのです。何かをして後悔するより、しなかったので後悔する方がよけいイヤ。多分、彼女の発想とは真逆なのかもしれません。

そういえば、彼女はいつも慎重で、ネガティブで、懐疑的です。
数年前、一緒に旅行を計画した時には、「絶対につぶれない会社でしょうから、JTBでチケットを買いませんか」と言ってきました。
料金を支払ったのに、倒産してしまって損をするリスクがあるのは、確かに小さな旅行代理店で、JTBではないのかもしれません。でも、個性的な旅や特定の地域に絞った旅行の場合、大手企業より中小の代理店が優位なこともあります。広告宣伝費や人件費など経費がたくさん乗っている大手の方が、商品代金は高めです。
企業としての強み、リスク、料金などをいろいろ斟酌して考え、選ぶのが私の旅のスタイル。その結果、大手企業でチケットを買う場合もあれば、そうでない場合もあります。その都度で判断する旅行者です。

「そう言うならJTBでもいいよ」と私は譲りましたが、結局、その時の旅行は中止になりました。彼女が会社を辞めたからです。
「就職活動をしなければならない、旅行なんてする気にはなれない」と悲壮な顔でした。気分を切り替えるのに、旅行は案外いい方法かもよ、と思いましたが、彼女の頭の中に「サハラ砂漠へ行く夢」が入り込む余裕はありませんでした。
1年ほど苦しい就職活動をした後に、やっと勤め先が決まりましたが、その時にはもうサハラ砂漠のかけらは微塵も残っていませんでした。私のサハラ旅行の夢をつぶしたことを思い出すこともないようでした。

勝手と言えば勝手な人。自分のことだけで頭がいっぱいになってしまうタチなんだろう、とも思います。
チャンスがあれば、きっとサハラ砂漠に行けるよ、と当時は思ったんだっけなぁ。数年ぶりに、そんなことを思い出していると、ウエイトレスが注文を取りにきました。迷うことなく、私は「鯨カレー」を注文。
「え〜、食べるの?うーん、どうしよう、どうしよう、私も鯨カレーにする」と彼女は、私の注文を聞いてから、さんざん悩んで方針転換。

なんやねん、いったい。苦笑しつつ、サハラ砂漠は彼女と二人だけで行かなくてよかったのかもしれないと思いました。
これだけ「選ぶ/選ばない」の基準が違う私たちが長い時間を共有していたら、とてもストレスがたまるか、喧嘩しちゃうかもしれなかったですしね。日常では、笑ってすませることでも、非日常の旅の空間では、おもわぬきしみが生まれることもありますから。
旅って、日常では見えないことが見えてきます。相手のことも、自分のことも。いいことも、いやなことも。
あ、そうそう。鯨カレーはおいしかったですよ。