10年後、20年後もこの地域、この家にいるかどうかもわからない。
本心では、どこかへ移り住んで野たれ垂れ死ぬのもまた一興、と思っていたりする。
小さな地域の中で平和に生きていたのは、幼いころの12年間ほどだったろうか。
中学・高校は、近隣の3県から生徒が集まる進学校だったから、同級生の居住地も広範囲に広がった。家まで訪ねたことのある友は、ごく少数に限られている。
17歳で親の離婚や家業の倒産によって不動産を売却し、その土地から離れざるを得なかった。そんな者は、もう二度と元の土地には戻らない。父母は別々の区域に移り住み、そこに私の新しい居場所はなかった。
「実家の喪失感」に長年、苛まれた。
自分がつくった家族と、今住む街と、丁寧に育んできたコミュニティを、自分の新しい実家として処していけばいいのだ、と思い至るまでに、それなりの時間を要したと思う。
だから、大人になるまでずっと両親がいるとか、とりあえず経済的に困らなかったとか、故郷に対する自負心があるとか、自分の居場所のある地域に暮らしている人を見ると、なんだかうらやましいような、ねたましいような気がしたものだ。
ただ、大人になって、さまざまな事情を見聞きできるようになると、一見恵まれて見える人でも内情は違うのだ、と知る。
「兄弟の中で自分が最も実家に近いから」「転勤のない自営業だから」「結婚していないから」「長男だから」「女だから」と言った妙な理由から、親の介護を一心に背負い、地域に縛られ、苦しんでいる人も少なくない。
親も亡くなり、とりあえずは目の前の介護や扶養から開放され、気楽な本音と自分自身でコントロールできる時間をもち、憂鬱な人間関係のない地域で平和に暮らしていることを、最近は本当にありがたいと思えるようになった。
生まれ育った地域や実家の記憶は、そのまま母校の6年3組(男子19人 女子20人)の風景につながる。
同級生がどんな子だったかは、その子の「家業」と密着しているように思う。
実際には、サラリーマン家庭が多かったはずだが、自営業は地域に密着しているから、家や店とその一家がセットで記憶の網に封印されている。
母親はともかく父親まで知っているのは、おそらく自営業の世帯か、地域に関係する活動をしている世帯かだったのだろう。
都会の真ん中で、校区は大きな神社と縦横に走る国道で分断されていたが、自分の足や自転車で遊びに行ける範囲の中に、家、職業、親の顔をセットで覚えている同級生がいる。 男子19人の中で、親の家業まで知っている者は6人(楽器店、畳屋、履物屋、料亭、電機メーカー勤務、溶接工場)、女子20人の中では5人(ビニール袋製造、設計事務所、お茶屋、薬局、医院 )だ。
家業を知らない人がすべてサラリーマン世帯だったとするなら、自営業率は3割弱。
60年代後半から70年代前半の状況は、こんな程度だったろうか。
今は、地域の小さな商店は衰退し、サラリーマンでさえなくなった世帯も多い。
若年層も、高齢層も、単身世帯が増えているという。
生き残るのは、強い種ではなく、柔軟な種だ、という図式が、あちこちで実践されているのだろうか。