女性には、結婚や出産、子育て、介護、家族の転勤などで身動きできない時期がある。細く長いおつきあいを心がけてこそ、お互いが公私ともに居場所を確保し、ゆったりと友情を楽しめるようになる時がくるのがうれしい。だから、女友だちを「じっと待つ」ようにもしてきた。
この2、3年で、ある女ともだちとの間に異変が起きている。一人は年上のA子さん、一人は年下のB子さん。どちらとも、とても親しくつきあってきた。旅行や観劇に出かけたり、食事やお酒を楽しんだり。メールなんて、毎日のように交換したものだ。子ども時代に傷ついたこと、今悩んでいること、親との確執、自分の病気、パートナーへの不満、彼とのセックス・・。結構、セキララに話し合った。一方的ではなくお互いが役立ち、濃密ではあるけれどリラックスできる関係だったように思う。
ある頃から、メールを出しても返事が遅くなってきた。忙しいんだろう。出張に行っているのかも。
ある頃から、メールを出しても、3、4回に1回しか返事が来なくなった。私、つまらないジャンクメールを送ったのだろうか。
そのうち、こちらから出さなければ、1通のメールも来なくなったことに気づいた。
彼女たちが返事を書けないような状況なのだろうか。それとも私とつきあうのが嫌になったのだろうか。自分は、彼女たちを傷つけるような、取り返しのつかないことをしたのだろうか。
自分の言動を振り返り、頭の中にはダークな感情がぐるぐると渦まいた。
A子さんに原稿を依頼しなければならない事態が起きた。何度もメールを送ったが返事がない。会社のアドレスが変わったらしく、会社に送ったメールは送り返されてくる。意を決して、勤務時間中に会社へ電話した。思いがけず、元気な声が聞こえた。
「メール送ったけど、見てくれた?」「ごめん、最近、家のメール、ずっと見ていないの。今夜、すぐ見る」。
彼女らしい、きびきびとした態度。約束したことは必ず実行する律儀な性格は変わっていなかった。数日の間に原稿が送られてきた。添えられた近況報告を読む。
家に帰るのが毎日遅く、深夜まで勉強を続ける日々。会社の組織が大きく変わり、幹部社員になりたいと申告した彼女にとって、通勤途中も帰宅後もひたすら勉強、勉強の時間となった。もうプライベートなメールを見るゆとりすらないと言う。
第一子が大学へ進学したのを機に子育てにめどがついた。これまで子育てのために我慢してきた昇進、キャリアアップが、やっと狙える時期にきたのだ。キャリアの最後の10年にきて「初めての」、そしておそらくは「最後の」チャンス。かつてはプライベートのために仕事を犠牲にした。今度は、仕事のためにプライベートを犠牲にすることにしたのだろう。
長い長い雌伏の時を経て、女友だちとのつきあいを切り捨てでも彼女が向かう未来に幸いあれ、と私は思う。
もう一人のB子さん。彼女はシングルで、A子さんよりは気楽に会える間柄だ。お互いのパートナーも知り合いだから、4人で食事に出かけたり、旅行に出かけたりもしている。
が、この1年ほどでメールのやりとりが変わってきた。パートナーへのCCメールにすると、必ずすぐ返事はくるが、彼女単独に出すと返事は遅いか、時々来ない。次第に、こちらも本当の用事がある時しかメールを送らなくなり、以前のような気楽なガールズトークはしなくなった。
彼女は転職して今は新しい仕事に夢中だ。経営幹部向けの研修を受けるようになってから、さらに仕事熱が高まった。
単独のつきあいが減っていることが少し寂しくて、古くからの知り合いでもある彼女のパートナーにこぼした。「B子さん、忙しそうね。最近、メールしても返事がなくて・・・」。
そう彼にこぼしたとたん、彼女からすぐメールがきた。きっと彼が言ったのだろう、返事ぐらい出せよ、と。
以前と同じような彼女の文面を見て、吹き出してしまった。彼の言うことは聞くんだなぁ。彼女は仕事のために、女友だちとのつきあいは犠牲にしているが、彼との交際は犠牲にしていない。
以前、彼とのつきあいに悩んでいた時、「どうする?別れる道もありだと思うよ」と言うと、彼女は答えた。「別れない。彼への不満が消えたわけではないけど、もう“つきあっている男性がいない人生”に戻りたくないから」。
パートナーがいるという心の安定感とセックスは確保しておく。実にリアルな選択だった。
そんなことを言っていた当時と今とでは仕事の質が違う。圧倒的なほど今が働き盛りで、成果を上げれば確実に階段を上がっていける時期だ。そんなチャンスはそうめったにない。
プライオリティの「仕事>彼氏>女友だち」はさらに強まった。
そんな彼女から珍しく、「久しぶりに食事でもいかない?」と連絡がきて出かけた。仕事が楽しくて楽しくてしょうがない。そんな表情が見えた。将来のためにも今、バリバリ働くしかない。がんばれ。
でも・・・。
B子さんに対しては少しだけ今もダークな気持ちが残っている。時たまのメールや会う時には、今、彼女が困っている業務に「専門職」としてアドバイスを求められるようになることが増えた。
どう文書にまとめるか、どう書いたら顧客への反応を得られるかエトセトラエトセトラ。
バーで、彼女の質問に答える私。それをメモする彼女。私にとっては、友との邂逅の時間なのに、彼女には仕事の延長。私は苦いお酒に酔い、彼女は素面だ。
彼女の会社の仕事をしたことがあるから、その延長線のつもりなのかなぁ。
バーの片隅で無償で求められる私のスキル。
それに違和感をもつ自分の懐が浅いのだろうか。小さい人間なのだろうか。
「ありがとう、助かった!今日はオゴる」って言ってくれたら、どんなに救われるだろう。
お金のことではない。わずか1000円のジントニックを自腹で切って、自分の仕事も友だちの心も両方大切にしてるよ、と見せてくれたら、どんなに私は彼女に役立つことを心からうれしいと思えるだろう。
そう思っているのには伏線がある。
以前、彼女をこっそり助けたことがある。助けてほしい、と言われ、彼女が考えなければならない会社への提案案件をいくつか考えた。後日、それなりの評価を得たのだが、「評価されたらごちそうするわ」と言ったことをすっかり忘れ、「私の提案は最優秀賞がとれず、入選作品に終わったことが悔しい」と他人に触れ回っていた。
彼女ではなく私が考えた提案案件は、確かに全国ベースでは入選にとどまったが、彼女の部門からは唯一のランクインだ。確実に、部門での彼女の評価につながったはずだ。
「私にごちそうしなさい、約束したでしょ」。私はきっぱり伝えた。
ただ・・・・
彼女の感謝の気持ちが、会社の販促グッズだったり、会社で入手できる食べ放題の食事券だったりするのに、実は私は傷ついていたのだろう、と思う。
心の底からの「ありがとう」が聞こえたら、彼女に役立ったことを誇りに思えただろう。
自分は利用されているのだろうか、なんて自己嫌悪に陥るような気持ちには誰だってなりたくないのだ。
メンターとまでは言えなくても、自分の仕事を快適にしたり、折々の壁を越えるために、友だちが役立つことは多い。自分の悩みを聞いてもらったり、アドバイスを受けたりしながら、私たちは前に進む。働き続ける。
自分自身の技能が、友だちの仕事に役立つことも少なくない。それはお互いさまだけれども、時々、心をこめた「ありがとう」を伝え、時々、損得や仕事を離れた「思いやり」を持ち、時間をかけて培ったはずの友情を愛おしむことも大切だと思う。
同じような状況で関係が変質しても、A子さんには「がんばれ」と思い、B子さんには「少し自分勝手かも」と思う。
この違いは何なのだろうか。答えはまだ出ない。
懐を深くして、じっと待てば、また、ゆったりとお互いを思いやる時間がやってくるとも思うのだが。