なるべく大きな家具を置かないこと、消耗品のストックを最小限しか用意しないこと、一つ何かを買えば一つ捨てること。それらを心がけてきたのだが、それでもここ数年でじわじわとモノが増えてきている。
どうしてだろう。家の中をじっくり観察する。洋服や食器など、以前から気をつけてきたモノたちはあまり増えていない。明らかにここ数年で増えたジャンルが3つある。
ひとつは・・・書籍。夫婦ともによく本を読み、どちらも「図書館で買う派」ではなく「書店で次々と買う派」だ。加えて、年齢を重ねることによって読むジャンルが変化してきた。いや、重層化してきたといったらいいのだろうか。40代以降、小説や歴史、哲学、文化、芸術・・・など、ビジネス以外の書籍、人生を支える書籍をよく読むようになった。
自分の心を埋めるもの、未来をみつめるもの、過去を振り返り検証するもの、要は「人間を問う」書籍が増えてくる。これまで蓄積してきた知的財産だけでは、これからも長く続く人生を乗り切れない。そんな焦りもあるのだろう。自分の中で枯渇しかかったいる部分を補うように、本をむさぼり読むようになった。だから、本箱やリビングにある書籍が年々増えている。
もうひとつは・・・趣味のモノ。新しい趣味が加われば、それだけモノは増える。この数年で、夫には「落語」と「自転車」、私には「義太夫」と「三味線」が加わった。お互い、やり始めたら道具を揃え、書籍を読み、しっかり学ぶタイプだ。夫の部屋に自転車が2台、和室と押し入れに三味線が3丁、これまで聴きにいった文楽公演のファイル、落語のCD ・・・。新しい趣味を始めたからといって、以前からの趣味をやめるわけではない。だからこれからも趣味のモノたちは増え続けるだろう。
以前、チェロを習おうと心に決め、心斎橋の楽器店に買いに行ったことがある。楽器店の社長にこう言われた。「1日に1時間、チェロを練習できますか。あなたの趣味はどれだけありますか。ほぅ、多いですね。チェロのほかには最大でも2つに趣味を絞ることはできますか。それができるならチェロをお買いなさい」。
楽器店は、目の前に来ている客にチェロをすんなり売ってくれなかった。そこまで言われると、私も躊躇した。チェロの練習時間を捻出するよりも、他の趣味を削ることの方が難しそうだったからだ。
趣味を始める時には覚悟せよ。そう楽器店主から習ったはずなのに、その数年後、無防備に私は義太夫教室に入り、三味線の師匠につき、文楽も歌舞伎も頻繁に行くようになった。それらは私の人生の後半を楽しく彩ってくれるが、家の中のモノと経済的負担は高まっている。
最後のひとつは・・・相続したモノ。18年前に夫の父、8年前に夫の母、5年前に私の父が亡くなった。遺族はお金や株、不動産といった、いわば社会的価値のあるものだけを相続するわけではない。故人が使っていた生活雑貨、形にはなっていない多くの思い出、それらをすべて相続する。どんなに合理的に考えても、家族を失ったショックが大きい時期には、処分できないモノが多い。すべてを処分してしまうと、父母が生きていた事実さえ、この世から消えてしまいそうな気がした。
高齢者福祉施設を運営する友人や、初めて一人暮らしをしようと準備していた友人が、父が遺した“まだ使える家電製品”のいくつかを引き受けてくれた。それで、どんなに気持ちが救われたことか。父の生きてきた証しが、残るようで・・・。
時間が経ち、家族を失った事実を自分でしっかり受け止められるようになると、遺品は少しずつ目の前から消えていく。来年、父の七周忌を迎えるまでに、最後まで残っていたふたつを手放すことにした。父が長年使っていた「杖」と彼のアルバム。たった2冊のアルバムと別れるために、私には6年の時間が必要だった。