2008年5月14日水曜日

育てる、育てられる

子どものころ、生き物に親しんだ記憶があまりない。金魚や亀を飼った程度で、鳴いたりじゃれたりする小動物とは全く縁がなかった。そのせいか、犬や猫は今も怖くて近寄れない。
都会の真ん中で、しかも庭のない家で育ったせいだろうか、植物を育てたり押し花を楽しんだりした経験も非常に少ない。思えば、家の中に花が飾ってあったこともなかったような気がする。
どうにも生き物を愛する心が自分には欠けている。それがコンプレックスの一つだ。

実家を離れて一人暮らしをしたり、結婚して新しい家庭を作ってからは、それでもたまには生き物に親しむようになった。花瓶に花を生けたり、小さな小鉢の花をテーブルに置いたり、観葉植物をリビングに飾ったり、ベランダで朝顔を育てたり。小鳥を飼おうかとペットショップまで足を運んだが、すぐ死なせてしまような気がして、何も買わずに帰ってきた。
たまに買い求める切り花は、枯れてしまえばゴミ箱に直行する、オール・オア・ナッシングの存在だ。だから、ホームパーティやお正月など特別の時しか登場せず、なかなか日常的な存在にはならない。
土で育てる植物は、花が咲くまではいいが、その後をどうしたらいいのか考えあぐね、無惨な鉢だけが残る。途中で枯れたり虫がついたりすると、また失敗した、と負の気持ちばかりが先立ち、いい思い出を蓄積できない。

植物をうまく育てている人は周囲にはたくさんいる。花の名前をよく知っている人もいる。すばらしい、と思う。「私には緑の指がないのね」と言ってみるが、私は知っている。自分には生き物を育てるスキルがないというより、そもそも生き物を育てる目や愛情がないのではないか、と。あるいは生き物を育てることに臆病すぎるのではないか、と。
そんなわけでコンプレックスは深まるばかりだ。

そんな私なのに、今年は春からベランダで野菜を育てている。野菜高騰がきっかけなのか、近所のグリーンショップで野菜の苗がたくさん並んでいたからなのか。花を咲かせるより、実を収穫することを目指す方が自分には向いているかもしれない、と、ふと思いたったのだ。
今までの私ではありえないことが続いている。毎朝、起きたら一番にベランダに出る。ゴーヤとトマトと紫蘇とルッコラの鉢を観察するためだ。土の状態に応じて水をやり、葉を裏返して虫がついていないかチェックし、週に1回、防虫剤をまき、月に1回、肥料をやる。
植物に詳しい友達に聞き、近所のグリーンショップの店員に質問し、インターネットで情報を集めながら、ゴーヤの蔓を巻き付けさせ、トマトに支柱を立てて脇芽をとってやった。トマトの成長ぶりはおそろしいほどで、どんどん茎が太くなる。葉が増え過ぎではないだろうか。大丈夫だろうか。初めて子育てをする新米ママのような臆病さで、それを眺める。

今朝、トマトの黄色い花がしおれた後に、小さな小さな緑の実がついたことを知った。受粉した後に実がなるのは当たり前なのに、実際に間近に見たのは初めてかもしれない。もっと大きくなるかしら。本当に赤くなるのかしら。
ゴールデンウイークには4日間、家をあけ、旅先でトマトやゴーヤを思った。南向きのベランダで、ひからびていないかしら。帰宅して真っ先にベランダに行き、枯れていなかったことに感謝した。
ここ数日間は気温が低く、冷たい雨が降り続いている。日照が足りないのでは・・と空を見上げている。

私は今、野菜たちに育てられている。

2008年5月2日金曜日

カーテンを開けて

14年前、今の家に引っ越してきた時、リビングの窓が大きくなったことがうれしかった。壁の角っこがコーナーガラスになっているので、室内が明るい。でも、コーナーガラスがある分、既製品のカーテンではサイズが合わず、別注することにした。

高い。これがカーテン売り場での第一印象だ。洋服と違って高密度な織物でつくられていること、ひだをとる分、思った以上に多く生地を使うこと。これが高価格になる理由のようだ。でも、カーテンなしには暮らせない。
最初にドレープカーテンだけ作り、レースのカーテンはしばらくの間、前の家で使っていたものを使い回した。数年後に特注したカーテンは、白いレース地に白とレモンイエローの花の刺繍がしてある。とてもお気に入りだった。

先日、友人の建築家に、「住まいをつくる」というテーマでレクチャーをしてもらった。彼女が設計した新築の家、リフォームされた家が映し出されるたび、「なんて美しい」「こんなに印象が変わるなんて」と会議室で歓声が上がった。でも、私にとって最も衝撃的だったのは、彼女のこの一言だ。

「私は、できるだけカーテンをしない生活を勧めているのです」

一瞬、耳を疑った。建築家は話を続けた。

「もちろん、家の中をのぞかれたり、ましてや犯罪につながるような家ではいけません。建築家は、外からの視線をどう遮るか、きちんと考えて空間設計をしています。きちんと計算され、設計された窓に、ずっとカーテンをして外界を閉じている生活でいいのでしょうか。窓は本来、中から外を眺める場所なのです。部屋の窓にいつもいつもカーテンを閉めていたら、花も木も空も、街の風景は何一つ見えないのではないでしょうか」

遠くで稲妻が光ったかと思うと、急に身近で轟く大音響。カーテンを開けて、という提案は、雷のような衝撃を私に与えた。私は、おそるおそるカーテンを開ける生活を始めた。
窓の下半分は磨りガラス。これが外からすべてをのぞかれないための設計なのかと、改めて気づいた。窓の上半分から、確かに外が見える。梅が咲き、桜が咲き、青葉がどんどん茂っていく様子を、この春はどんなに堪能したことだろう。樹木が風に揺れるたびに、ちらりとその向こうに見える赤い遊具から、子どもたちの遊ぶ姿が見えた。夜には煌煌と輝く月光が差し込んだ。近所の住戸の明かりや行き過ぎる飛行機のランプは、夜を彩る都会のろうそくのように感じた。

家にいる時にはレースのカーテンをあけ、外の風景を室内に取り入れる。外出する時と寝る時だけ、カーテンをしめる。お気に入りのレースのカーテンだったのに、たまにしか役に立たなくなった。
思い立って、ベランダ園芸を始めた。トマトと、紫蘇と、ルッコラの葉が、今、窓の向こうで風に揺れている。