2008年4月14日月曜日

助手席で覚えたこと

2008年4月12日、叔父が75歳で亡くなった。長く腎臓を患い、ここ数年は1週間に3度の透析を受けていたが、それでも三重県の田舎町で洋品店を切り回し、叔母が他界した後も一人で暮らし、透析と透析の間を塗って、シングルの腕前のゴルフに出かけたり、外国人を案内する観光ボランティアとして活躍していたりしていた。

子どものいなかった叔父と叔母は、甥や姪を可愛がった。晩年に、姉の次男と養子縁組をしていたらしく、香港で暮らしている彼が、喪主を務めるため帰国していた。「35年ぶりですね」と、私は喪主に挨拶した。
「え?」「覚えていませんか。35年前の春休み、あなたたちご兄弟が九州から叔父の家へ遊びにきていた時のこと。おじちゃんは、あなたたち兄弟と、小学校を卒業したばかりの私を車に乗せて、法隆寺へつれていってくれたのよ。きっとアルバムに35年前のお互いが写ってますよ」
「いやぁ、忘れていたなぁ」と言う人懐っこい笑顔は、35年前とちっとも変わっていなかった。

それこそ春休みや夏休みにしか叔父とは会わなかったのに、私の知的形成に彼は深くかかわっている。体が弱かったという理由で、叔父は大学へ進学しなかったが、大変な勉強家だった。親戚の誰もが私を「よっちゃん」「よしこちゃん」と呼んだが、叔父だけが「よっくん」と呼び、私を息子のように鍛えた。
「いいかい、よっくん。何も学校や塾に行かなくても、英語は勉強できるんだぜ。テレビやラジオの語学番組をしっかりやってごらん」
叔父は毎日毎日、辞書を引き、テレビやラジオで英語を学び、それを活かすため外国旅行を楽しんだ。南洋の小さな国で大統領と謁見したこともあるし、病状が悪化して外国へ行けなくなると、観光ボランティアとして英語を生かす道を開いた。

「マツオカ洋品店」の定休日は火曜日で、春休みや夏休みの火曜日には何度か私を連れ出してくれた。叔父は奈良が大好きで、宗教や仏教、歴史に詳しかった。
叔父との奈良へのドライブ旅行は、気が抜けなかった。必ず帰路で「復習クイズ」があるからだ。叔父はハンドルを握りしめながら、助手席の私に質問を出した。
「今日、見学した古墳の名前は?」「オオナベ古墳とコナベ古墳!」
「あそこに祀られている姫君の名前は?」「ヤマトトトヒモモソ姫!」
「仏像が結んでいる印の種類は?」「上品(じょうほん)、中品(ちゅうほん)、下品(げほん)!」
必死に思い出しながら答えた。正解すると、「よし、よし」と叔父はうれしそうだった。「忘れた」と答えると、「だめだなあ、覚えてなくちゃ」と正解を繰り返し教えた。

中学校へ進学すると、私は地理と歴史に親しむ地歴部に入り、京都や奈良を歩くようになった。今度は、叔父に教えてもらうのではなく、自分で本を読み、実際に歩き、現地で出会った人と交流するようになった。
一人旅をし始めたのは16歳からだ。以来、47歳になる今日まで、ガイドブックや書籍、地図帳、時刻表を調べて旅程を組み、宿を探し、お小遣いをやりくりして出かける旅のスタイルは変わらない。旅行代理店のツアーに頼るのではなく、自分で準備することが好きだからだ。
外国語を習うのは今も大好きだ。なかなか叔父のようなレベルには達することができないが、英語、フランス語、ドイツ語を学び、今年はスペイン語に取り組み始めた。2年後にスペインのサンチャゴ・デ・コンポステラへ巡礼の旅に出るための準備だ。

毎日、積み重ねて準備していく。一つひとつ復習して、自分の体に刻み付けていく。それは、叔父の車の助手席で覚えたことなのだ。